2014/06/22

スノーピアサー


【物語】
温暖化を抑えるため散布した物質によって、突如氷河期に突入した地球。それを予期してウォルフォードという鉄道王は人類の新たな方舟ともいえる”列車”をつくった。その列車は完全に自給自足が可能で列車から一歩も出ることなく生活をすることが出来た。その列車に乗ることが出来た人類だけが、生き残ることが出来た。
列車は車両ごとに身分が分けられ、最後尾の車両にのる人々は過酷な扱いを受けていた。しかし最後尾の若きリーダー・カーティスは、前の車両から送られてくる秘密のメッセージに従い、革命を計画していた。そしてついに全ての扉を開くことが出来る男が囚われいる情報を得たカーティスたちは革命を実行に移す。

面白かった、本当に心の底から面白かった。評判が大分悪かったので心配してたが、最高だ!
ポン・ジュノ監督は世界的に名を残すレベルの監督だ。この監督と同じ時代に生まれることが出来たのは幸運だ。僥倖だ。
 このクラスの映像作家の作品には無駄なカット、無駄なセリフ、とにかく無駄のものが存在しない。全てのカットに、画面に写っている全てのモノに意味がある。無駄なものが何一つない。全てが繋がっていくる。映画が総合芸術と言われるのそういうことなんだ。今作も勿論そうだ。Blu-rayで二回観たが、私のようなド素人が観ても新しい発見があるのだから、凄いことだ。(例えば、最後尾の車両の壁に掛けてあるキリスト像の左腕が欠けているのに気がついた。観たらわかるがとても意味のあることだ。)
 ポン・ジュノ監督は独特なユーモアで時に観客を戸惑わせることもあるが、今回もそれは健在だった。あのハッピーニューイヤーにはやられた。
 物語が進むにつれて―主人公が列車を進んでいく―に従って、列車の中の風景が抽象的、記号的になっていく、富裕層のレストラン、ラウンジ、歯医者、サウナ、プール、クラブ、鴉片窟、仕立屋、寿司屋、海、などだ。物語も寓話的になってい行く。
 だから中盤以降は列車にリアリティを感じなくなる、だが物語も寓話的になっていくので、バランスはとれている。もしリアリティを重視した列車にするなら、列車はキングゲイナーのシベリア鉄道の総裁が乗っていたような、列車というよりビルですよね、それ?というようなデカさになるだろう。あの列車の中に小さな地球のように全てが詰まっているというには、リアリティは完全にない。だがあの列車は象徴や記号なのだからそれでいいのだ。桃太郎が桃から生まれる事にリアリティはいらない。
 この映画は寓話的で哲学的で、無駄なカットも何一つなくエンターテイメントでありながら総合芸術として映画的でもある。また随所に観客が思わずグッと来る、やったぜ!と叫びたくなるようなシーンがある。例えば革命を決行するか決断する時の、兵士の銃に弾が入っているか確認するシーンは何度観ても最高に興奮する。この映画は完璧だ。

 この映画とは直接関係ないが、ポン・ジュノ監督の監督作品のグエムルに出てるソン・ガンホとコ・アソンが同じように父娘役で出ている。映画の最後に今回は娘を守れてよかったなと感慨深くなった。
 また関係ない作品の話だが、20世紀少年が映画化される際に、ポン・ジュノ監督にオファーがいったそうだ、だが日本の資本で好きに撮れる自信がなかったポン・ジュノ監督は泣く泣く断ったとインタビューで言っていた。ポン・ジュノ監督は浦沢直樹の大ファンであると浦沢直樹との対談で言っていた。もし監督していたらあんな大惨事にはならなかったろう。
 漫画の映像化に必要なのは、私が思うに2つ。ひとつは原作に対する愛、もうひとつは本質を見極める目。
 漫画と映像は全く別のメディアだ、観る人間の印象も全く違う。ただ漫画の通り映像化してもチンプンカンプンなものが出来上がるだけだ。その漫画の本質を見抜き、映像化するにあたって、映画なのかテレビ番組なのか、時間も考慮して構成しなおす能力が必要だ。 20世紀少年の監督にはその能力が完全に欠落していた。(もしくは、その能力はあったが映画会社の要請に答えてああしたのかもしれないが)
 もし大金持ちになったらポン・ジュノ監督で20世紀少年をリメイクしたい。

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