2014/07/06

ココシリ

 



【物語】
 1980年代から、ココシリ(チベット高原)でチベットカモシカの乱獲が始まり、100万頭が1万頭にまで激減した。絶滅を危惧したリータイは地元の男たちを集め民間のパトロール隊を結成し、ココシリで密猟者たちとの戦いを始めた。北京からそのパトロール隊を取材したいと若い男の記者がやってくる。リータイは記者をつれパトロールに出る。そして逮捕した密猟者の仲間から、首領まであと一歩のところにいると知ったリータイと男たちは、過酷な自然に命を奪われながら、執念の追跡を続ける。

 数年前にDVDで観たのだが、Huluにあるのを見つけたので、また観た。意義深い映画だ、何度も観たくなる。
 ココシリという地名の意味は、美しい娘だかなんだかという意味だ。実際に映画の中のココシリは美しい、本当に美しい。だがそれはココシリの一面だけだ。平均海抜4700mはあまりにも過酷な自然環境だ。
 うっかり足を滑らせても死につながる。いや滑らせなくても死ぬこともある。
 中盤で車が故障し、リータイは止む無く故障した車の三名を後続の隊員にまかせて、自分たちは先に進む。記者がリータイに大丈夫か尋ねる。リータイは雪が降らなければとだけ答える。もし雪が降れば隊員たちは死ぬのだ。天気次第で死ぬのだ。
 パトロールに出発する前や、仲間と別れる前に、彼らは抱き合って、今生の別れのように別れる。最初は大げさに映るが、自然が過酷すぎて大げさでもなんでもないのだ。ココシリでは当たり前に、自然が原因で人が死ぬ。
 命に対する価値観がまるで違っている。人が自然環境が原因で死ぬのが当たり前過ぎて、私達と人の死に関する価値観が全く違う。彼らにとって死はすぐそこにある。だから我々の感覚でみると冷酷な判断も、そうではない。リータイは途中、逮捕した密猟者を面倒が見れないという理由で、開放する。だが彼らは数百キロ、食料もなしに徒歩で走破しなければ生き残ることは出来ない。我々の感覚で言えば完全に死刑判決だが、彼らの感覚で言えば必ずしもそうではない。最後に生き残った密猟者とリータイは出会うが、密猟者は仲間が大勢死んだと言うだけで、大して恨み事らしいことも言わない。声を荒らげリータイにお前のせいで大勢死んだとも言わない。
 そんな過酷な自然に仲間を失いながらリータイはついに密猟者の首領に追いつく、その時には車もなく徒歩で付き従っていた隊員も倒れ、そばにいるのは記者だけ。
満身創痍の二人は密猟者たちにあっさり捕まってしまう。まるでこうして文章で書くとリータイがコメディのように間抜けだが、映画を観てると、彼の追跡が狂気だということがよくわかるのでコメディのようには感じない。ダーク・ナイトでジョーカがーこう語るシーンがあった「俺は車を追いかける犬と同じだ、追いついた後のことなんか考えちゃいない」
 リータイは首領にあっさりと撃ち殺される。首領は本当にそこら辺にいそな人の良さそうなおっさんだ、ウルルン滞在記のホームステイ先のお父さんみたいな感じだ。きっと芸能人が日本に帰るときに、お前はもう私の娘だ、いつでも来なさい、と泣いてくれそう感じだ。極悪非道な密猟者の首領というイメージとはかけ離れている。だが実際、悪ってのはそいうものなのかもしれない。それにこの男たちも食うためだけにこの仕事を始めただけだ。普通の男たちが。
 

 リータイは実際の人物をモデルにして描かれた。実際の人物も密猟者との戦いで命を落とした、以下は昔、私がそのモデルとなった人物について調べた際に、彼の死に際を書いた文章を翻訳したものだ。

 ”索南=達傑 1954年-1994年”
2011年12月5日、6人の男達が青海省・玉樹チベット族自治州・公安局に17年前の殺人事件で自首した。彼らは17年前、可可西里(ココシリ)と呼ばれる地で索南=達傑という男を撃ち殺した。彼らが索南を殺したココシリはチベット高原にある。平均海抜4,700m。人が住むことが出来ない過酷な土地だ。こんな人の住めぬ辺境の地で、彼らが索南を殺したのは生活の為だ。 <br />
人が住めぬ過酷な地だが野生動物はいる、チベットカモシカだ。チベットカモシカはこの地だけに生息する貴重な野生動物である。過酷な自然に育てられたチベットカモシカの毛皮は、カシミアの王と言われるほど上質だ。こんな貧しい土地で札束が草原を駆け回っている。当然、乱獲され80年代には絶滅寸前まで数が減った。
91年 青海省治多县の副書記であった索南は自治政府に働きかけ、反密猟武装部隊を組織し隊長に就任した。索南は密猟者と過酷な自然と腐敗との戦いを始めた。彼は死ぬまでに12回のパトロールを行った。ココシリの自然は過酷だ。パトロールも密猟も遭難の危険を伴う。ココシリで遭難すれば死ぬ。
94年 索南は3人の隊員を率い12回目のパトロールに出発した。索南たちはパトロール中に20人の密猟者を逮捕した。そこは人の住む場所までは数日の距離があるココシリの奥地だ。彼らはトラック二台とジープ一台で密猟者達と長い帰路についた。索南はジープに搭乗し殿を務めた。

出発から三日目、索南は見張りのため三日間一切寝ておらず、さらに食糧不足から食事も取っていなかった。太阳湖南岸にジープがに来た時、朦朧としながら索南が見たのは先行していたトラックが道を塞ぐように止められている光景だった。索南はジープを運転していた隊員に「何かあったようだ」と言うと、道を塞ぐトラックの手前50mの位置でジープを停車させ54式拳銃を手に一人ジープを降りた。

索南が到着する少し前、密猟者たちは見張りの隊員の隙をつき二人を拘束し、すぐさま待ち伏せの態勢を整えていた。

索南はトラックに向かい歩いた。すると密猟者の中の一人も索南に歩み寄って行った。二人の距離が近づいた時、密猟者は何も言わず索南を組み伏せようと襲いかかった。索南は銃で殴りつけこれを振り払った。それを合図にトラックのヘッドライトがパッつくと、密猟者たちは索南に銃撃を浴びせた。索南はヘッドライトを狙い何発か撃った。密猟者の弾丸が索南の足に弾丸が命中した。索南は伏せながら反撃を続ける。

暫くすると索南の反撃が止んだ。密猟者は運転手に、「行ってしまえ!」と叫んだ。運転手はその場を去った。

そして数日後、運転手は応援を連れてその場に戻ってきた時、索南はまだ銃を握っていた。弾を装填しようとしながら怒りに満ちた視線を密猟者に向け凍死していた。

今回、自首したのはこの中の男達の内の6人だ。数年前にも数人が逮捕されたが、まだ残った数人が逃亡している。

その後、索南たちの部隊を取材したテレビ番組が公開され中国国内でチベットカモシカ保護が叫ばれるようになり、97年にはココシリは国家指定の保護区になった。彼が組織した部隊は数年後、8人の隊員が自ら密猟を行い解体された。しかしその後、彼の名を冠した保護局が設立され任務を引き継いだ。2011年の初めチベットカモシカの数は15万~20万に回復したとの報告がされた。